2月15日(木)くもりときどきこさめ、泣きながらも無垢にたたかう
昨日付けで状況を記録したので、会計報告からいってみます。
母のそばで一晩の看護・介護をし、朝、タクシーを呼んで、病院に向かいました。母は、いま、自力歩行ができません。
朝のタクシー代と帰りのタクシー代で、1,620円です。
母の診療費・検査料は、1,460円でした。
足が冷たいと訴えるので、電気あんかっていうのを、電気屋さんにもってきてもらいましたが、6,400円でした。布団のなかで、電気毛布が寝ていましたが、なにも言わずにとりはずしておきました。ほんもののヴォケだとこわいです。
ぼくの食糧の各種パンと、紅茶・コーヒーは、874円です。
母が眠ってる間に、午後8時から事務所にちょっと来ました。交通費は、380円、本日の合計は、10,734円で、、残高は、32,661円です。まもなく破産です。
これでは最賃生活にならないので、昨日と今日の分から、母親関連をのぞき、足し直すと、きのうは5,000円で、今日は9,480円の控除、つまり14,480円となりますので、残高は、47,141円に逆戻り、ということにいたしたい、と思います。えらいこっちゃっ。
最賃生活者は、親にも子どもにも、愛するひとに、そもそも、なにかを買ってあげる、なんてことはできませんよねっ。医療費すらも、負担してあげることができません。とても悲しい現実に直面します。
最賃生活者は、ひとを愛する権利とか、ないのですかっ?
医療や介護の制度的欠陥は、人間的とはいえない、病院からの高齢者一般の排除と深く結びついたものであるため、これからの団塊の世代の大量流入による高齢化社会の最大の弊害となっていくものかも知れません。もちろん、年金制度の決定的な欠陥もふくめ、わが国社会がとても大変な状況となっていくことは、100年不安の構造を産んでゆくものだ、と思います。
ぼくたちの最賃闘争は、ナショナルミニマムの基軸としての全国一律最賃制へむかって、高齢貧困層との連帯も最低年金制度創設へむけて大きな課題としているのですから、それは本当に壮大な歴史の扉を目の前にしているたたかいなのではないでしょうかっ。
ぼくらか生きくらしている生身の現実は、価値観をまちがえると、とてもひどいものになっていく、と思います。とくに、民主的医療機関でさえ、人間性を基軸にすることのない考えがはびこるなら、いつでも非人間的なものに転落しそうですし、ひとの仕事にむきあう姿勢と個々の労働者の基本姿勢や考え方は、どうあってはならないかっ、ということを検証していくべきです。
それは、ぼくの任務や労働組合運動の位置についても、そうだと言わなければなりません。このことを狭くしか理解しないしできないひとびとが多いあいだは、ぼくらは真の役割をもって、ぼくらの外の人びとからは正当な評価を受けえないのではないか、ということは、ぼくの苦痛と悲しみのひとつの源です。
その悲しみにこころをふるわせて、それでも、本当にひとつでありたいと願い、一緒にあゆみたいとこころざし、現実のたたかいで手を握りあうことを強く志向するっ!
おやすみなさい。あしたは、母の胃カメラにつきそいのため、書くことができないかも、です。たたかうサイチニスタの仲間と、愛するあなたのしあわせをこころから祈る!
| 固定リンク
「最低賃金生活体験運動の記録」カテゴリの記事
- ガンジーのようにたたかうということ(2007.06.23)
- 賃金課さまへの表敬訪問もしたのだっ(2007.06.21)
- 6月20日、最賃ハンスト(2007.06.19)
- これからが最賃闘争の本格化のとき(2007.04.28)
- 最賃生活体験にねざして考えていること(2007.04.16)
コメント